5=3は、アンナ・マスレニコフのプロジェクト――彼女の数式、彼女の喪失、彼女のプレート――として語られることが多い。それも無理はないし、間違ってはいない。けれどそれでは、ほとんどすぐに起きていたある出来事を過小評価してしまう。ほかの女性たちが、自らプレートを運び始めたのだ。パリには2024年5月、アンナの夫の手によって最初の一枚が置かれ、その2か月後にはウィーンで、同じ日に二枚のプレートが設置された。しかし2024年11月、何かが変わった。初めて、友人がまったく自分の意思だけで、アンナの後押しも同行もなしにプレートを設置したのだ。そのたった一つの行為が、5=3を一人の作家のプロジェクトから、ネットワークに近い何かへと変えていった。
その変化が重要なのは、単なる運搬の問題――もちろんそれも一因ではあるが――ではない。誰かの普段の荷物に紛れ込ませてスーツケースに詰められ、靴や充電器の隣に押し込まれたプレートが、誰にも気づかれない密輸品のように空港を通り抜けていく。重要なのは、これをした友人たちが誰かに頼まれたわけでも、引っ越しを手伝うような一般的な意味での「親切」をしただけでもない、ということだ。彼女たち一人ひとりが、妊娠の喪失についてのオブジェを自分の判断で街まで運び、公共の場に据えるという選択をした。誰かに「何をしているの」と聞かれて気まずい思いをする危険を、自ら引き受けて。
誰かのスーツケースからやってきた街
このプロジェクトのもっとも印象深い設置のいくつかは、たまたま友人がどこかへ向かうところだった、という理由だけで存在している。2025年10月、キプロスのリマソールに運ばれたのは、アンナ自身ではなく友人だった。アルメニアのエレバンには2025年4月に最初のプレートが届き、2025年11月には二枚目が加わった。こちらはガルニ近郊の「石の交響曲」でランドアートとして構成されたもので、友人のマトロヒナとマリーナ・ニキトゥシキナが手がけ、壁に取り付けられた一枚のプレートという枠を超えて、天然の玄武岩の柱の間に置かれた共同インスタレーションに近いものになった。どちらの瞬間も、アンナがその場にいる必要はなかった。必要だったのは、壁を探し、光を見極め、ふさわしい場所を見つける手間を、すでに惜しまない誰かだった。
これはもともと、ひとりだけの行為であり続けるつもりはなかった。ほかの女性たちが「これは自分たちのものでもある」と決めたからこそ、プロジェクトは育っていった。
自分自身のプロジェクトを他人の手に委ねるということには、特別な種類の信頼が要る。ましてこれほど個人的なプロジェクトであればなおさらだ。アンナの数式は、彼女自身の体と五度の妊娠についてのものでありながら、彼女はプレートがどこに落ち着くか、どう配置されるか、壁に一枚だけ据えられるのか、それとも大きな情景の一部になるのかを、友人たちに委ねてきた。設置の主導権を手放すというその決断こそが、このプロジェクトのメッセージそのものの一形態でもある。大切なのは、アンナの数字だけが意味を持つということでは決してない、という点だ。友人がアンナの見たこともない街にプレートを置いたとしても、数式が語るべきことは変わらず語られる。なぜならこの数式は、そもそも彼女個人だけについてのものではなかったからだ。それは、多くの女性が静かに分かち合っている算術についてのものだった。
アンナ自身の手ではなく、友人のスーツケースを介してどこかに届くすべてのプレートは、このプロジェクトが成長を続けるために一人の旅程に依存しているわけではない、という証だ。それは、自分の街の壁にもこれが必要だと、ほかの女性たちがそれぞれ独立して判断することにかかっている――そしてそれは、どんな一人の作家にも成し得ないほど、確かな成長のかたちなのだ。
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